元和2年(1616)に当時無住であった古屋村角峯院と下野尻村小龍山阿弥陀寺町を時の領主井伊兵部少輔に願い出て、古屋村と下野尻の寺の寺号をもらい受け、上野尻南裏と谷津分にまたがる畑7反余を定め、ここを洞谷山角峯院龍昌寺建立の場所としました。
御開山様は箕輪城主長野信濃守三男長源寺17世名国宗譽大和尚であります。 開基には発起人の茂木八郎左衛門を定め、八郎左衛門の戒名は郭峯院龍昌全洞庵主となりました。 寺院堂を建立の運びとなり、上野尻古屋を始め近在の信心者が集結し、 1616年2月に地ならしを開始、同年10月には地ならしが終了。 参加した人足は延べ1400人余。 元和10年(1624)棟上げが行われた。 慶安2年徳川幕府より40石八斗余の御朱印地を賜った。 その朱印状を保管する葛籠が現存しています。
寺は創建以来火災に遭わず、7堂伽藍が立ち並んでいたと伝えられるが、 明治初年の廃仏毀釈の波にさらされ住職は退去、山門と本堂を除き全て解体されました。 本堂のみは往時のままの姿です。 明治7年米国から帰国した新島襄が、帰国後最初のキリスト教の伝道演説をしたのはこの龍昌寺であります。 当時は無住で公会堂的などとして使われていました。
2016年には創建400年の法要も行った。
御開山 | 名国宗譽大和尚 | 17世 | 五峯梅友 |
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2世 | 三洲厳龍 | 18世 | 禪庭柏凉 |
3世 | 久山建良 | 19世 | 天海祖山 |
4世 | 一葉全春 | 20世 | 大安賢道 |
5世 | 徳雲祖春 | 21世 | 一清𣳾山 |
6世 | 月峰源桂 | 22世 | 廓然聖堂 |
7世 | 大道躰寛 | 23世 | 本玄孝岳 |
8世 | 玉堂寛鳳 | 24世 | 学禪㫖見 |
9世 | 大通宗圓 | 25世 | 寒山立超 |
10世 | 融鳳躰圓 | 26世 | 義山礼道 |
11世 | 台門寛梁 | 27世 | 可得魁一 |
12世 | 放雲寛光 | 28世 | 無関潮禪 |
13世 | 灮厳寛明 | 29世 | 道山巍功 |
14世 | 雄山祖英 | 30世 | 雲外巍鳳 |
15世 | 寒山祖柏 | 31世 | 玄堂幸雄 |
16世 | 閩山𣳾嶺 | 現住32世 | 慈然聖道 |